さとぴがたり

“好き”や“楽しい”に従順でいた先でAqoursに出会い、逢田梨香子さん推しとなりました。

Aqoursへの感謝 ~今に生き、今を重ねること~

 #SUKI_for_Aqours 

 

今またこのタグを用いて寄せられている、それぞれ抱くAqoursへ「ありがとう」を伝える言葉なり思い思いの感謝のカタチ

私もまたここに集う想いと同じくAqoursへの感謝をカタチにしたいと、久々に長い文を綴らせて頂くことと致しました。

  

Aqoursに貰ったもの、渡したいもの、そして感謝」

私にとってのそれらはなんだろう?

 

自分のこと、自分から見たAqoursのこと

先のValentine's Day Concertで、Aqoursから私たちへの愛を確かに頂戴したからこそ、そのお返しと言わんばかりにAqoursへの感謝を目に見えるものとして残したい・届けたいと、このブログを書き始めた次第です。


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さてそのAqours EXTRAライブValentine's Day ConcertはDay.2に参加が叶い、その最後に私はこのような呟きを残していました。

 

 

私にとってのAqours


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その“9人と9人”の存在は、大切で、必要で、そして何より「心からの感謝」を捧げたくて…

これらの気持ちは何ら偽りのない本心でありAqoursみんなに対する感情です。でも

 

じゃあ私が具体的にAqoursに捧ぐ「感謝」とは?

結局のところその最たるものって??

 

何かにつけAqoursがあって今の自分が居ると言っているような節がありますが、じゃあそれってとどのつまり何なのか。

こういう感謝であったり“好き”の理由って、理屈より衝動的に「好きに理由なんてない」みたいなことが持て囃されることもありますが

そうした曖昧の妙は良く聞こえる場合もあるものの、見方を変えれば自分や自分の“好き”と向き合うこととは裏腹な逃げの側面を孕んでいるとも言えましょう。

 

だからこそ感謝の気持ちをここに明確・明白にして残したい。そして今一度明らかにすることでどんな感謝を抱き、Valentine's Day Concert同等かそれ以上の想いを声援に込めAqoursへ届ける決意を持って、気持ちに淀みなくWhite Day Concertに臨みたい。

 

このブログに記しますことは、そんなAqoursへの感謝と、同時に自身の宣言となるようなカタチに書き進められたらと思います。


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導入が長くなってしまいましたが本題と移りましょう。自身からAqoursへの感謝…

Aqoursから頂戴したもの、Aqoursに感謝したい物事…それらは沢山ありますが、でもその最たるものは私にとって明白です。

 

「 今を大事にし、前を向けるようになった 」

 

一見ありきたりな言葉に映るやも知れませんが、これこそがその最たる想い。

Aqoursとの出会いが私にもたらしてくれたものの中で、この単純なことが何より大きく、何よりも感謝している…感謝しなければならない、そのような気持ちはこれを置いて他にありません。

 

Aqoursと出会うまでの人生、振り返ればその場をやり過ごすことばかりの日々でした。何がそうさせていたかを具体的な言葉で掘り下げれば、折角感謝を届けるべき場所に少なからずネガティブを持ち込むことになるでしょうから、詳らかにするものではありませんが

かつて自分は己を満たすこと以上に、欠片ほどもない自己肯定感の無さに背くように、趣味なり興味の世界への没頭は現実逃避のツール的側面が大きかったように思います。

 

私にとって「今」というものは早く目の前から過ぎ去って欲しいものでしかなく、その蔑ろにしていた誰しもにある「今」と言う事象に対して

がむしゃらに、懸命に、輝くことを追い求める9人の存在、Aqoursの“今を重ねる”生き様との出会いが私を変えました。

当初はアイドルへの興味の延長線上のような形からアニメ、ラブライブ!サンシャイン!!に触れ、もし興味の域がそこ止まりであれば、また単に消費者として消化するだけの趣味の一つに留まっていたかも知れません。

そんな切り口で触れたに過ぎない人間を一変させたのは、他でもないAqoursの姿勢でありAqoursのステージです。

まず1つは参加するLIVEの予習的にBlu-rayで後追いをした1st LIVEの2日間。そしてその直後、自身が初めてAqoursを目の当たりにした初の東京ドームでの4th LIVEと、映像で現地で、これら2つのAqoursと自身の最初の接点がAqours及びラ!サ!!を、好きなアニメ作品ってくくりから「Aqoursが好きだ」って気持ちまで押し上げてくれたように思います。

(ここら辺は自己紹介としてあげている記事と重複してしまうものがあるかも知れませんので、リンクを参考までに。→ さとぴがたり - さとぴがたり )

そのたった9人が放つラブライブ!サンシャイン!!という愚直ゆえの眩い物語を、背負い、向き合い、ぶつかり合い…

命を燃やすが如くの姿勢で体現する姿と、物語に本気で向き合って来たからこそ、新たに生まれる物語の先の物語に

こんなにも“今”に対して懸命に生きる彼女たちと私も一緒に進めれば、これまで大事に出来てなかった私自身の“今”さえも、本気で向き合うほど「この先どんな景色を共に見ることができるのだろう?」と、強く感じさせてくれたような気がしたと言いますか

“今”という事象はやり過ごすものでしかなかった中で、これからでも…正に今からでも、向き合ってみたいと、そんな熱意を灯してくれたのは他でもないAqoursの9人でした。


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ここまでを踏まえて、一つその感化された部分に重なる楽曲に絡めた話にも触れておきたく思います。その曲は、Aqoursの9人が歩んだ物語の集大成と言いますか、Aqoursの軌跡であり生き様そのものと言っても過言ではない

WATER BLUE NEW WORLD


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作中ではラブライブ本大会の決勝戦で、この上なき説得力を持ってAqoursの絶対的勝利を手繰り寄せた物語を語る上で欠かせない一曲。

私が説明するまでもないAqoursきっての“強い曲”ではありますが、その歌に込められたのはものは正にAqoursの歩みであると共にAqoursの未来の道標でもあり、何より瞬間瞬間を生きるAqoursの「今」。

そしてAqoursだけの物語の象徴とも言えましょう、深く鮮やかな青い色を纏ってのパフォーマンスで体現して魅せる9人の姿に、何よりも生き様を感じるばかりで

Aqoursの“生”をこれ程までに力強く掲げる歌とパフォーマンス、それらに今と向き合うことの大切さを諭されたと言っても過言ではありません。

更に余談的ではありますが、このWBNWの歌詞が場面場面で何を指しているかを私なりに大まかに分けていきますと、まずA・Bメロではこれまでの歩みを、サビではこれからの未来を、そして歌い出しとCメロでは、過去でも未来でもない「今」の一瞬一瞬を…

正にそれらはAqoursの「生きてきた」これまであり、「生きていく」これからであり、そして「生きている」今そのものであり…

懸命に今を大切に生き、その一瞬一瞬の今を重ねることが、結果として自身の轍となり、その辿ってきた積み重ねが目指し行く先の道標ともなる

単純だからこそ難しい、そんなことに気付かせてくれて、向き合わせてくれたのはAqoursの“9人と9人”でありますし、それこそが何よりの感謝、もし重く捉えられようが何だろうが、まず一番の「ありがとう」と伝えたい私の想いです。

 

 

さて、ここまで己の内にあるAqoursに向けての感謝に向き合ってきましたが、じゃあそれを踏まえて自分は何を返して行けるのだろうか??


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もう間もなくに控えたWhite Day Concert、そのタイトルの通りホワイトデーという風習に乗っ取るであらば、Aqoursから気持ちを頂戴した以上、それに応えなければ野暮というものです。

どこか烏滸がましくもあれ私がAqoursに何かを返すならば、いついかなる時も揺らぐことのない、これら心底からの誓いを私は捧ぐのみ。

 

Aqoursの味方でいること

Aqoursを全肯定すること

 

なおも限界知らずで進み行く9人の見果てぬ道の先に、何ら不安も憶測も抱く余地はありません。そんな無粋なものはくそ食らえとすら思うばかり。

 

受難の時代には「ありえないはないよ」とも高らかに歌い上げたAqours。彼女たちを知らない人からしてみれば、荒唐無稽な言葉と感じてしまうかも知れません

だけど私はAqoursの味方として自信を持って全てを肯定するのみ。「ありえないはない」その体現を、これまで重ね続けてきた“今”の中で痛いほどに感じさせて貰ったのだから、リアルとして受け取り続けてきたからこそ、そこに疑いの余地は一つとしてないでしょう。


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貰った想いを返したはずが、それをも上回る大きな想いをまたAqoursから貰いそして返していく…

この途切れる事なき想いの伝え合いが巡る様が、Aqoursの謳う無限大を担う一つなのかも知れません。

私は私の投げ返す番をしっかりと全力で投げ返すのみ。ようやく想いを声に乗せることが許されることとなりましたので、またそこに己の想いを乗せてAqoursの元へと投じたく思います。


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これからもAqoursと共に、今を重ねゆく為に。