さとぴがたり

“好き”や“楽しい”に従順でいた先でAqoursに出会い、逢田梨香子さん推しとなりました。

Aqoursへの感謝 ~今に生き、今を重ねること~

 #SUKI_for_Aqours 

 

今またこのタグを用いて寄せられている、それぞれ抱くAqoursへ「ありがとう」を伝える言葉なり思い思いの感謝のカタチ

私もまたここに集う想いと同じくAqoursへの感謝をカタチにしたいと、久々に長い文を綴らせて頂くことと致しました。

  

Aqoursに貰ったもの、渡したいもの、そして感謝」

私にとってのそれらはなんだろう?

 

自分のこと、自分から見たAqoursのこと

先のValentine's Day Concertで、Aqoursから私たちへの愛を確かに頂戴したからこそ、そのお返しと言わんばかりにAqoursへの感謝を目に見えるものとして残したい・届けたいと、このブログを書き始めた次第です。


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さてそのAqours EXTRAライブValentine's Day ConcertはDay.2に参加が叶い、その最後に私はこのような呟きを残していました。

 

 

私にとってのAqours


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その“9人と9人”の存在は、大切で、必要で、そして何より「心からの感謝」を捧げたくて…

これらの気持ちは何ら偽りのない本心でありAqoursみんなに対する感情です。でも

 

じゃあ私が具体的にAqoursに捧ぐ「感謝」とは?

結局のところその最たるものって??

 

何かにつけAqoursがあって今の自分が居ると言っているような節がありますが、じゃあそれってとどのつまり何なのか。

こういう感謝であったり“好き”の理由って、理屈より衝動的に「好きに理由なんてない」みたいなことが持て囃されることもありますが

そうした曖昧の妙は良く聞こえる場合もあるものの、見方を変えれば自分や自分の“好き”と向き合うこととは裏腹な逃げの側面を孕んでいるとも言えましょう。

 

だからこそ感謝の気持ちをここに明確・明白にして残したい。そして今一度明らかにすることでどんな感謝を抱き、Valentine's Day Concert同等かそれ以上の想いを声援に込めAqoursへ届ける決意を持って、気持ちに淀みなくWhite Day Concertに臨みたい。

 

このブログに記しますことは、そんなAqoursへの感謝と、同時に自身の宣言となるようなカタチに書き進められたらと思います。


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導入が長くなってしまいましたが本題と移りましょう。自身からAqoursへの感謝…

Aqoursから頂戴したもの、Aqoursに感謝したい物事…それらは沢山ありますが、でもその最たるものは私にとって明白です。

 

「 今を大事にし、前を向けるようになった 」

 

一見ありきたりな言葉に映るやも知れませんが、これこそがその最たる想い。

Aqoursとの出会いが私にもたらしてくれたものの中で、この単純なことが何より大きく、何よりも感謝している…感謝しなければならない、そのような気持ちはこれを置いて他にありません。

 

Aqoursと出会うまでの人生、振り返ればその場をやり過ごすことばかりの日々でした。何がそうさせていたかを具体的な言葉で掘り下げれば、折角感謝を届けるべき場所に少なからずネガティブを持ち込むことになるでしょうから、詳らかにするものではありませんが

かつて自分は己を満たすこと以上に、欠片ほどもない自己肯定感の無さに背くように、趣味なり興味の世界への没頭は現実逃避のツール的側面が大きかったように思います。

 

私にとって「今」というものは早く目の前から過ぎ去って欲しいものでしかなく、その蔑ろにしていた誰しもにある「今」と言う事象に対して

がむしゃらに、懸命に、輝くことを追い求める9人の存在、Aqoursの“今を重ねる”生き様との出会いが私を変えました。

当初はアイドルへの興味の延長線上のような形からアニメ、ラブライブ!サンシャイン!!に触れ、もし興味の域がそこ止まりであれば、また単に消費者として消化するだけの趣味の一つに留まっていたかも知れません。

そんな切り口で触れたに過ぎない人間を一変させたのは、他でもないAqoursの姿勢でありAqoursのステージです。

まず1つは参加するLIVEの予習的にBlu-rayで後追いをした1st LIVEの2日間。そしてその直後、自身が初めてAqoursを目の当たりにした初の東京ドームでの4th LIVEと、映像で現地で、これら2つのAqoursと自身の最初の接点がAqours及びラ!サ!!を、好きなアニメ作品ってくくりから「Aqoursが好きだ」って気持ちまで押し上げてくれたように思います。

(ここら辺は自己紹介としてあげている記事と重複してしまうものがあるかも知れませんので、リンクを参考までに。→ さとぴがたり - さとぴがたり )

そのたった9人が放つラブライブ!サンシャイン!!という愚直ゆえの眩い物語を、背負い、向き合い、ぶつかり合い…

命を燃やすが如くの姿勢で体現する姿と、物語に本気で向き合って来たからこそ、新たに生まれる物語の先の物語に

こんなにも“今”に対して懸命に生きる彼女たちと私も一緒に進めれば、これまで大事に出来てなかった私自身の“今”さえも、本気で向き合うほど「この先どんな景色を共に見ることができるのだろう?」と、強く感じさせてくれたような気がしたと言いますか

“今”という事象はやり過ごすものでしかなかった中で、これからでも…正に今からでも、向き合ってみたいと、そんな熱意を灯してくれたのは他でもないAqoursの9人でした。


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ここまでを踏まえて、一つその感化された部分に重なる楽曲に絡めた話にも触れておきたく思います。その曲は、Aqoursの9人が歩んだ物語の集大成と言いますか、Aqoursの軌跡であり生き様そのものと言っても過言ではない

WATER BLUE NEW WORLD


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作中ではラブライブ本大会の決勝戦で、この上なき説得力を持ってAqoursの絶対的勝利を手繰り寄せた物語を語る上で欠かせない一曲。

私が説明するまでもないAqoursきっての“強い曲”ではありますが、その歌に込められたのはものは正にAqoursの歩みであると共にAqoursの未来の道標でもあり、何より瞬間瞬間を生きるAqoursの「今」。

そしてAqoursだけの物語の象徴とも言えましょう、深く鮮やかな青い色を纏ってのパフォーマンスで体現して魅せる9人の姿に、何よりも生き様を感じるばかりで

Aqoursの“生”をこれ程までに力強く掲げる歌とパフォーマンス、それらに今と向き合うことの大切さを諭されたと言っても過言ではありません。

更に余談的ではありますが、このWBNWの歌詞が場面場面で何を指しているかを私なりに大まかに分けていきますと、まずA・Bメロではこれまでの歩みを、サビではこれからの未来を、そして歌い出しとCメロでは、過去でも未来でもない「今」の一瞬一瞬を…

正にそれらはAqoursの「生きてきた」これまであり、「生きていく」これからであり、そして「生きている」今そのものであり…

懸命に今を大切に生き、その一瞬一瞬の今を重ねることが、結果として自身の轍となり、その辿ってきた積み重ねが目指し行く先の道標ともなる

単純だからこそ難しい、そんなことに気付かせてくれて、向き合わせてくれたのはAqoursの“9人と9人”でありますし、それこそが何よりの感謝、もし重く捉えられようが何だろうが、まず一番の「ありがとう」と伝えたい私の想いです。

 

 

さて、ここまで己の内にあるAqoursに向けての感謝に向き合ってきましたが、じゃあそれを踏まえて自分は何を返して行けるのだろうか??


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もう間もなくに控えたWhite Day Concert、そのタイトルの通りホワイトデーという風習に乗っ取るであらば、Aqoursから気持ちを頂戴した以上、それに応えなければ野暮というものです。

どこか烏滸がましくもあれ私がAqoursに何かを返すならば、いついかなる時も揺らぐことのない、これら心底からの誓いを私は捧ぐのみ。

 

Aqoursの味方でいること

Aqoursを全肯定すること

 

なおも限界知らずで進み行く9人の見果てぬ道の先に、何ら不安も憶測も抱く余地はありません。そんな無粋なものはくそ食らえとすら思うばかり。

 

受難の時代には「ありえないはないよ」とも高らかに歌い上げたAqours。彼女たちを知らない人からしてみれば、荒唐無稽な言葉と感じてしまうかも知れません

だけど私はAqoursの味方として自信を持って全てを肯定するのみ。「ありえないはない」その体現を、これまで重ね続けてきた“今”の中で痛いほどに感じさせて貰ったのだから、リアルとして受け取り続けてきたからこそ、そこに疑いの余地は一つとしてないでしょう。


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貰った想いを返したはずが、それをも上回る大きな想いをまたAqoursから貰いそして返していく…

この途切れる事なき想いの伝え合いが巡る様が、Aqoursの謳う無限大を担う一つなのかも知れません。

私は私の投げ返す番をしっかりと全力で投げ返すのみ。ようやく想いを声に乗せることが許されることとなりましたので、またそこに己の想いを乗せてAqoursの元へと投じたく思います。


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これからもAqoursと共に、今を重ねゆく為に。

 

逢田梨香子 LIVE 2022 ~The night before Nostalgic~

2022年5月1日の話です。

 

幾分経ってしまいましたが、この日に中野サンプラザで行われました逢田梨香子さんのライブのお話。


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逢田梨香子 LIVE 2022

『 The night before Nostalgic 』

 

レポと呼べる程の記事にはならないでしょうし、開催からそれなりに開いているので鮮度面でも弱い更新ですが、このThe night before Nostalgicに込められたものを思い返せば、月日を重ねて振り返ることもまた意味や趣もあることかも知れませんね。

なので、あえての今の振り返り。

 

先にも言いました通り、レポでも考察めいたものでもなければ個人の勝手な戯言なので、逢田さんの真意に迫れるものでもなく、単に一ファンの“あの日の感想文”程度な感じで捉えて頂けると幸いです。


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【目次】

 

 

 

 

 

 

 

 

■ 一年越しの単独公演

 

声優ソロアーティスト逢田梨香子さんの単独公演としましては、前年3月の1st LIVE TOURの完走を果たした大阪公演千秋楽以来


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そこからこの5月1日に至るまで、バースデーイベントや出演作品のイベント等はあれど、The night before Nostalgicは1年2ヶ月ぶりとなるソロアーティストとしての単独公演。

 

この開いた期間から感じますのは、Aqoursが活動の多くを占め、また当然ながら声優が軸である彼女なので、仕事の比率としてのインターバルもありましょうが

それのみならずどのアーティストにも言えることではあれ、コロナ禍との向き合い方こそは形成されつつはあるものの、未だに尾を引く情勢が阻む側面あってのインターバルともなったのかな?と。

また、一つの憶測に過ぎない話もさせて頂きますと、2021年の前期まではAqoursとしての活動も混迷の中で、秋頃から徐々に歩みを取り戻せはしましたが、中止なり延期となってしまった当初のドームツアーであったりSSAでの公演、更にはつま恋での野外公演と、突き付けられた非情なまでの現実全てを背負ったAqoursキャスト始め関係者皆様の痛みははかり知れません。

逢田さんらが痛みの最中に居た時、つま恋中止決定直後の浦ラジで流した涙と、そうした痛みを耐え続けた先で迎えられた光明…DREAMY CONCERTでの感極まる姿は強く脳裏に残るもので、あのAqoursとして生きる覚悟であったり、紡がれた言葉の節々から感じられたAqoursへの愛は、痛みが大きかった程に忘れられないものとなりました。

 

そしてその姿を目の当たりにして思いますのは、逢田さん自身は再び動き出そうと藻掻くAqoursに、全身全霊を注ぐ本気と覚悟の引き替えとして、ご自身の活動よりAqoursを優先した結果がこのインターバルに繋がったのではないかな?と思わずには居られません。

 

再会の喜びを噛み締め、重ねた悔しさを晴らしたDREAMY CONCERT、そして過去の事となりかけていた楽しさ一辺倒の時間を取り戻せた Aqours 6th LIVEのOCEAN STAGEとSUNNY STAGEを経て、ようやくご自身としての歩みにも立ち返る事ができ

逢田さん自身再びの歩み出しとなったのが、このThe night before Nostalgicではないかな?と、ここに関しては全て憶測の域を出ない所詮の戯言であれ、この知らせを頂戴しました時そう思わずにはいられませんでした。

 

ただ、アーティスト活動におけるライブの定説としましては、シングルやアルバムなどを引き下げて開催といった流れが一つ形式としてあるだけに、3月のある日突然

今日はお知らせがあるみたい。

と、漠然的な前置きから発表されましたこのライブは、青天の霹靂めいたものも抱かずにはいられなかったのが正直なところ。

 

そのようなタイミングで告知されました“一夜限り”を唱う今回のライブのタイトルは

~ The night before Nostalgic ~

郷愁めいた意味合いを纏うこのタイトルに込められた意は何なのか?そしてアルバムなどを引き下げてではなく、音楽面で我々が受け取れる何かが明示された訳でない中で開かれるライブに込められたものとは何なのか??

“前段階”と呼べるものが皆目見当つかない中、「一夜限り」「自身最大規模」…そんなワードを掲げての開催告知に良い意味合いながら「何が起こるかわからない。」

そんな全くのまっさらな心持ちで5月1日…その当日を迎えることとなりました。

 

わからない中でも願望的であれ叶うと信じてやみませんでしたのは、昨年2月リリースの2nd EP『フィクション』収録の4曲中3曲は未だパフォーマンスとしては未披露とあって、これらの初歌唱はここに集った誰しもが疑わないものだったのは確かかな?と。

そのEPを締める一曲『花筵』は、逢田さん自身の原体験をヒントに世界観が描かれ、抗えぬ別れを想う郷愁と、その無常を乗り越え、未来を見据える心の変容を美しい情景に重ねて描いたこの曲の存在が色濃くタイトルへの繋がりをも連想させ

花筵が一つの鍵となり、今に至るまでのこれまでの積み重ねに想い馳せる。。そうした形を描くライブになるのでは?と、足らないながらも自身の想像力でそのようにThe night before Nostalgicに込められる意を解釈して当日を待つことと致しました。…が

それも今となりましては、結果を先に言ってしまいますとそのようなミスリード的な解釈がある意味、逢田さんの術中に嵌まっていたのかも知れません。

この時点ではこのタイトルの真意には到底近付いてすらいませんでしたので…。


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そしてその待ちわびた5月1日

2020年の12月、1st LIVE TOUR Curtain raise東京公演以来の中野サンプラザへ。

 

2020年という誰しもに大きな影と空白をもたらした一年、その最後の最後で我々が感じられた光こそ、前回この地での逢田さんのライブであって、その事実と記憶だけでも大変感慨を抱くものでありましたが

よりそうした想いを深くさせてくれましたのはエントランスでの催し、これまでのライブで召されていた衣装展示でしょう。

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1st LIVE TOURより白と黒の対を成すお衣装に、逢田さんのソロ活動を紐解くにおいて大きな出来事であった2019年アニサマでのお衣装。

告知では単に“衣装展示”とだけの告知でしたので、漠然としか捉えていなかったのですが、3着どれを取っても大変意味のあるお衣装を目の前に出来て、この地での思い出をより鮮明に思い出せましたのは勿論、この日ここに至るまでの歩みを改めて胸に刻ませてくれるものとなりました。

 

 

 

この先はライブ本編のことへと触れていきましょう。まずは先にライブ全般のカタチとなりますセトリから…。

 

 

 

■【セットリスト】

 

  • M01. フィクション
  • M02. for...
  •  -MC-
  • M03. Lotus
  • M04. 君がくれた光
  • M05. 退屈が大好き
  •  -バンドセッション-
  • M06. 花筵
  •  -MC-
  • M07. Adolescence
  •  -MC-
  • M08. ORDINARY LOVE
  • M09. FUTURE LINE
  • M10. Dream hopper
  •  ~ アンコール ~
  •  -MC-
  • EN01. ブルーアワー
  •  -MC-
  • EN02. ステラノヒカリ

 

 

本編とアンコール含め全12曲のステージ。それを受け取る前は、このひと時に込められるものが想像だにしないものではありましたが

いざその時間を過ごしてみて誰しもが強く感じ取ったことでしょう、この時間このセトリに込められた逢田さんからのメッセージ。

 

私に全てが全て込められた意味を意図通りに紐解く力量があるとは言い難いですが、ステージ上から伝わりましたパフォーマンスであったりメッセージであったり…。それらを幾つかフィーチャーしつつ、ここからは公演中逢田さんから頂戴したものを振り返っていけたらと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

■ エンターテイナー

 

今回も1st LIVE TOURに引き続き、逢田さんの信頼おけるバンドチームとの生の音で彩られるステージ。彼らの奏でる幕開けへ誘うセッションは、段々と馴染みがあり待ち望んでいた旋律へと変わります。

ご自身のラジオで1曲目予想を問うなどセトリやライブの肝などは完全にベールの中でしたが、その始まりはここに集う多くの方々が望み、そして信じていたことでしょう

『フィクション』でのスタート。

昨年春前にリリースした2nd EPの表題曲かつそのパフォーマンスは未披露、そして何より逢田さんご自身の作詞で、真実虚構入り交じるエンターテイメントのステージに魅せられ、そして溺れ行く主人公の世界観を描いてみせたこの曲ほど、ここにいる皆が待ち望んだエンタメの始まりを飾るに相応しいものはありません。

特異かつ独自の魅力を放つこの曲を、如何様に魅せるか楽しみが膨らむばかりでしたが、赤く染まった照明の中お出ましになった逢田さんの出で立ちは、照明にも勝るほど鮮やかな赤の映えるジャケットと、黒のシースルーに赤地が覗くスカート姿で、スタンドマイクを携え力強さ押し出してのステージ。

きらびやかな世界に溺れゆくどこか破滅的で快楽めいたものすら滲むこの曲を、その一挙手一投足から余裕すら漂わせるパフォーマンスで描く姿は圧巻の一言。

後に「一曲目はとても緊張した」と仰られた逢田さんですが、きらびやかでもあり破滅的ですらもある主人公の心情と、その世界に一気に惹き込んだパフォーマンスからは緊張のそれを微塵にも感じないどころか、余裕の中に自分を魅せる心得も覗かせているようで、“歌う”ことのみならず佇まいであったり目配せであったり、世界観に憑依が如く纏うオーラとでもいいましょうか、“惹き込む”・“魅せる” まるでそれらを熟知したような振る舞いに

さながら逢田さんは生まれもっての生粋のエンターテイナーなんだなと、改めて強く思わさせられるフィクションのパフォーマンスでした。

また、彼女が生粋のエンターテイナーであることの裏打ちと言いますか、よりそう思わせてくれるエピソードの一つとして、これもライブ前にラジオで仰っていたこととなりますが、例え初見や試しに訪れたような観客相手であってもライブに来てしまえばこっちのものと、自信とも取れる言葉を口にしていた彼女。今回のステージを目の当たりにした時、その言葉に何ら偽りない衝撃を幕開けと同時に思い知らされたような感覚にも陥りました。

このフィクションを受け取った瞬間に余計な邪推等々は全て忘れ去り、ただただステージから伝わるもの全てをそのままに受けとるしかないと覚悟を決めた次第です。

 

 

幕開けからフィクションの世界観=このライブにおける逢田梨香子の世界観へ染め上げてみせ、その流れのまま続く2曲目は『for...』

 

フィクションから地続きに赤く黒い色のイメージを、for...が持つ疾走感が更に加速させていく心地よさに、底知れぬこの曲が持つ魅力をも感じる構成

1st LIVEではステラノヒカリから続けて歌われたfor...。その時、曲の切り替わりの一瞬で見せたの表情変化が、とても心惹き込まれる魅せ方をした逢田さんが印象深い限りでしたが

今回のフィクションからfor...への繋がりは熱量を引き継ぐ様も実に秀逸で、セトリのどこにこの曲を据えるかで、幾重にも色々な表情を見せられるポテンシャルを秘めている、そんなfor...の魅力を更に知れたように感じました。 

 

 

 

 

 

この2曲を歌いきってのご挨拶のMC

 

心を掴み、惹き込んで離さないあれだけの熱量あるパフォーマンスのあとに、日頃ラジオなど通じて馴染みある、よく知った自然体な振る舞いの逢田さんは

そのギャップ(?)ともまた違いますか、改めて多面的な魅力をお持ちの人だなと、そうしたメリハリから思わさせられます。


始まっちゃった」と気持ちを漏らすお姿も

お衣装を見せようと一回りするも“サイレントくるくる”になってしまい違和感を覚えているお姿も

どの言葉、どの行動も我々がよく知る逢田さんらしさの滲む言動にどこか安心感と、憧れでありつつ身近な存在である暖かみを感じさせてくれる彼女のMC。

その極めつけは、最初のMCを締め括りますに、LIVEの最低限な注意事項を促すのも演者として押さえるべきMCでのポイントなのでしょうが、それに当たって彼女は…

 

今回の LIVEは私もそんなうるさいこといわないので、皆さんも多分分かってると思うから何をしたらいけないか、何をしたら摘まみ出されるのか、みんな分かってると思うから、私も い・わ・な・い。

 

…と、彼女らしい言い回しで笑い交えつつも

まず歩み寄る、信頼を寄せる。形式的な常套句で注意を促すでなく、“日頃のみなさんを信じていますよ”と言わんばかりの信頼の投げ掛けには、こちらも誠意で応えたいと思わずにはいられません。

そうした双方の信頼関係を感じさせてくれる約束をもって、ライブは更に進み行きます。

 

 

フィクションそしてfor...と、ここまでは誰もが願うべくしての王道的な並びでしたが、The night before Nostalgicの真意であり真骨頂は、ここから先の怒濤の展開の先にありました…。

 

 

 

■ その魅力、 “目眩く”

 

そんな最初のMC明け、「次の曲、聴いてください」とあえてのタイトルを伏せた中で流れ出した前奏がその合図のようといいますか、過去のライブでは終盤の鍵となるような披露が多かった『Lotus』の前奏

 

逢田さんの初作詞曲でもあるLotusは、蓮の花のその様に、逢田さんご自身の人生観を重ねているとも取れる意味深い一曲

まさか序盤に据えられてるとは露程も思わず驚きを持って受けとりますと同時に、2020年のオンラインBDイベントしかり、1st LIVE TOURしかり、ここぞの場面で歌われてきた曲だからこそ、今あえてここでの歌唱に込められた意味などを考えてしまいますと、それはセトリの捻り的な意味合いのみならず

この詞を手掛けた時よりも月日を重ね、逢田さんご自身はこの曲に落とし込んだ想いが根底であることは変わらずとも、今はここに綴った気持ちより前進なり成長出来ているからこそあえて序盤に据えたのでは?と、勝手な思い込みの域を出ないエゴではあれ、私はそのように捉えたいと思いたくなりました。

また一つ余談ではありますが、青く照らす照明の中で映える対照的な赤いお衣装を召した逢田さんのお姿は、水面に浮かぶ蓮の花のようでもあり、その歌われている蓮こそが逢田さんご自身のことであると示しているかのような演出の妙に映りました。

 

Lotusに続きますは、ソロアーティストの道を歩みだした最初の一歩目、Principal収録の初期曲ながら、この日が初めてライブでの歌唱となった『君がくれた光』

 

心地よいキーボードを始めとしたバンドサウンドに乗せられて歌われるメロディー。それは先のLotusに滲むストイックな覚悟から一転し、よりこの“君がくれた光”が持つ清々しさが染み渡ったように感じます。

また、この曲を歌われるに当たって印象として抱きましたのは、常に客席へと強く向けられた視線と、その佳境に我々へと向け差し伸べられた手。

この曲が今になり初披露された喜びを単に受け止める以上に、そのステージ上から逢田さんが伝え届けようとして下さっているものがあったように思えたと言いますか

この曲がこのあと明かされる今回のライブ、The night before Nostalgicの真意にリンクすることを物語っていたことを、このかけがえのない時間を進み行くなかで後に気付くことととなりました。

 

 

Lotus、君がくれた光と来て、次に続きましたのは、不思議な魅力を放つキュートなナンバー、2nd EP収録曲の一つ『退屈が大好き』

タイトルそのままな、どこか気だるさを醸し出しつつも悪戯な仕草や所作に、頭のフィクションで感じたものとはまた違う切り口でのエンターテイナーたる振る舞いの彼女に心掴まれます。

そして、このセクションでステージより伝わる印象は3曲どれも良い意味で脈略が読めない、まるでランダム再生かってくらいのセトリ。

しかしどれを取っても逢田さんの魅力を余すことなく感じさせてくれるばかりで、“目眩く”…そんな言葉が当てはまる逢田さんの魅力溢れるセクションだったなと。

 

 

退屈が大好きのアウトロから衣装替えに捌けた逢田さん。ライブの世界観を紡ぐバンドセッションを挟みライブは中盤へ。

そしてその中盤からの流れにこそ、このライブの意味が込められたものとなっていたように感じました。

 

 

 

 

 

■ Adolescence

 

バンドチームの演奏を挟み一転するThe night before Nostalgicの世界観。衣装替えを済ませかすかな青の滲むシックな出で立ちのお衣装でお戻りになられた逢田さんが、明確にライブの中盤、折り返しとなるここで歌われました曲が『花筵』

繰り返しの話となってしまいますが、抗えぬ別れを思う郷愁とご自身の原体験をヒントに書かれたこの曲が一つライブの肝となると思っていただけに…いや、確かに明確な折り返しとなる衣装替え後のタイミングで披露されましたことは、ライブの中において大切な役割を持っての披露とは感じられましたが、演出のすべてはこの曲に帰結していくのでは?と推察していた中で、ライブとしてはまだまだ先がある位置での花筵の歌唱。

このタイミングに据えられていたことに内心驚きを抱きつつも、今はその歌唱に込める想いをただ受け止めるのみ。

逢田さんがこの曲の歌詞を一節一節説くように刻む手から伝わるのは、込めたメッセージを大切に届けたい意思の現れでもあるようで

また、遠い日に馳せる眼差しと未来に向けられた眼差し、同じ眼差しを持っての表現にしてもそれらはまるで違って映りまして、逢田さんが届けてくれる表現は瞳からも伝わってくる…いや届けてくれるものが大きく、花筵ではそれをより強く感じ、過去と未来の気持ちの切り替わり、そうした心情描写を映す瞳から伝わってくるものに、ただ吸い込まれるばかりでした。

 

花筵の歌唱を経て中盤のMC、いよいよライブの核心へと迫ります。この時花筵への思い入れを語る言葉の中で1つ不意に頭に残った物がありましたが、これはまた後で拾えればなと…。

 

中盤でのMCにおいて何より

驚きと喜びの渦を巻き起こしましたのは…

 

私から皆さんにサプライズ…! なんとなんと、なんとなんと、この日の為に新曲を持ってきました!!

 

なんとまさか、まだその存在すらこの日まで完全に伏せられていた、まだどこにも触れていない全くの新曲を届けてくれた大サプライズという逢田さんからの素敵な贈り物。

ティザーや曲名はおろか存在すら知らされてない、そんな曲を真っ先に私達に届けてくれた喜びは計り知れません。

 

それでは皆さん聴いてください Adolescence

 

そう告げ奏でられるAdolescenceと銘打たれたその曲は、初見でありながらもメロディも歌詞も何もかもが自然に染み込んで来るように感じられ、自身の胸を吹き抜けていく清涼感と疾走感は、まるで初めて受けとるとは思えないまでに聴き心地の良いものでした。

そしてそのような想いを抱いたのは私だけではないようで、それは私は勿論、誰しもがAdolescence…思春期の記憶が大なり小なり胸にあったからなのかな?と。

後々にアーカイブで歌詞を紐解くに、改めて明確に気付きましたのは、そこに綴られたのは今を駆ける青春の讃歌ではなく、在りし日の青春に想い馳せる気持ち。

この日の為に作った」と仰っていたAdolescenceという曲は、郷愁を掲げたこのライブに相応しい視点での素敵な贈り物でした。

 

そのAdolescenceを経て、この曲に至った経緯と共に、逢田さんが語りましたことは青春という括りに対しての想い…


みんなもう過ぎてると思うけどw

 

なんて冗談めかしてから語りはじめはしますものの、彼女なりの青春の本質なりが見えてくる言葉が紡がれたひと時でした。

 

青春と言うものは、限りあるものってイメージが強いという固定観念を前置きにしつつ

個人的に(青春に)限りなんてなくて、今こうしてみんなと過ごしている時間も、遠い先10年20年後とかに思い返したら、あの頃青春していたと思う 

今日この日が将来ずっと先で思い返した時、みんなの中で素敵なものになっていたら良いなと思って(Adolescenceは)作って頂いた楽曲 

彼女なりの青春の形、青春の捉え方を我々に示してくれて、今を噛み締めることが後々にその今を尊いと感じさせてくれる時間があるよと説いてくれるとともに

そうしたまさに“今”この瞬間を感じるに、これしかないと言えようAdolescenceに続けて歌われました曲は

新しい曲に対して個人的にちょっと懐かしい 

との前置きだけで、その正解を思い浮かべた人も多いでしょう。そして逢田さんは続けます

この曲と一緒にみんなも環境が変わったり心境が変わったりしていると思う 」

ここに集う多くの方々が、かつてその曲が今受け取ったAdolescenceのように“今”の真ん中にあって、そして逢田さんと共に同じ歩幅で歩んだ道の先で、共に“懐かしい”と感じられている…。そんな歩んできた道程を思わてくれる、ソロアーティスト一歩目を踏み出した大切な一曲『ORDINARY LOVE』

この対比で聴かせてくれるからこそ、感じ入るものはこれ以上にありません。

この時点でも、これから何年経とうとも、逢田さん個人を応援するに当たっては私は後追いの身なので「ORDINARY LOVEが“今”だった」頃、同じ道程に私は居ませんでしたが

だとしても、それなりに逢田さんを通じての思い出も増えてきて、そしてこの日この場所でAdolescenceを「今の出来事」として受け止められましたことと、それからそのAdolescence越しのORDINARY LOVEを受けとめられましたことは

あの日からここまでの道程を感じさせてくれるその演出と言いますか、逢田さんの歩みを感じられた並びは、逢田さんと共に進みゆくに、忘れない大切なひと時として胸にしまいたく思います。

 

 

ライブ序盤から中盤まで、エンターテイナーの顔で存分に楽しませてくれていたかと思えば、一転そうした着飾るエンタメとはまるで正反対な、逢田さんの真心を感じさせてくれたAdolescenceとORDINARY LOVEを経て、再びギアを上げてのラストスパートへ…!

 

佳境への勢いを加速していくに歌われました曲は『FUTURE LINE』

この曲のイントロで、いつも逢田さんは我々一人一人の想いを尊重してくれるかのように「思い思いの好きな色を振ってほしい」と伝えてくれます。このThe night before Nostalgicで披露されましたFUTURE LINEのイントロでも

みんな、手に持っているサイリウムを好きな色に…各々のカラーにして頂いて、思いっきり楽しんで行きましょう!

と、熱い気持ちを強く示してくれました。

 

そして今回、いつもの逢田さんの想いの更に先を感じたように思えたと言いますか、逢田さんが尊重して下さるのは、色に込めた我々一人一人の想いのみならず、先程のMCや前2曲を踏まえて感じましたのは

このFUTURE LINE=未来線を歌うこの曲で、私たちの気持ちを尊重してくれるということは、ファンの想いを大事にしたいって気持ちを更に越えて、一人一人の将来や夢を後押ししたいっていう、彼女から我々に向けた願いも乗っかっているような気がしてなりませんでした。

また、間奏明けで叫びましたのは開催地でもでも会場名でもなく「“みんな”いくよー!」と高らかに声にしたお姿に、一貫してこのライブのメッセージが滲んでたなと…。

 

FUTURE LINEで一気に上げたボルテージを、更に跳ねさせるような『Dream hopper』へと繋がり、今限りであれど永遠でもあるような楽しさに溢れた時間が最高潮を迎えます。

今が楽しいと心から思える、そんな心弾む気持ちを全肯定してくれるかのような高揚感いっぱいのDream hopper。

そんな楽しさの中にもFUTURE LINEに引き続き、込められた歌詞が今日を懐かしいと思える日まで進もうとする、そんな私たちのこれからを応援してくれます。

 

 

喜びも悲しみも彩ってく

私の未来を鮮やかに 沢山の出会いが

そっと背中を押してくれる

 

大丈夫だよって笑う 君がいてくれる

どんな時でも 俯かないで前を向くよ

強くその手を 握り返したら

連れて行くから 煌めいた世界

まだ知らない景色が待ってる

 

 

 

 

 

 

■ The night before Nostalgic

 

ライブ本編が終わりアンコールへ。一夜限りと唱われた、ここに集う皆にとってかけがえのないその時間が、「今」から「思い出」へと変わってしまうまであとわずか…。

だとしても、アンコール明けでの逢田さんのMC、「The night before Nostalgic」に込められた真の意味に触れられましたことで、この一瞬一瞬が今でなくなってしまうことも何ら惜しいものではないと気づかせてくれます。

 

アンコール明けのMCで語られましたのは、過去でもなく今でもなく、少し先の未来を漠然と…でも確かに訪れよう形で捉えた話。

一緒に今を重ねていくかけがえなさを素敵に思う気持ちを大事に思いつつも、逢田さんは続けました。

 「でも“絶対”に、私しかりみんなしかりだけど、大きく環境が変わるタイミングがあると思うんですよ。みんなも家庭を持ったりとか、あとは転勤だったりとか、あとは学校卒業して社会人になる形とか…

私もそれはみんなの幸せがあるからね、応援する立場でいたいし…

20代の締め括りを迎えつつも、30代へとなることに抵抗は抱いてないように感じられる振る舞いの逢田さんでしたが、人生を大きく変えた時期を過ごした20代を締め括るに、多かれ少なかれ思うことはあってか、誰しもがこの先変わりゆくことへの言及をされたことがとても印象的でした。

また、花筵の後の下りで不意に頭に残った言葉の1つに(桜は)毎年 “多分” 咲くと思うと話されていた言葉があり、そこから思いましたのは

四季の移ろいは、日本で過ごす以上絶対無くならないと思われる事なのに、「多分」と仰っていたことを思うに、それは短絡的に「逢田さんが変なこと言ってる 笑」とかでは勿論なくて、彼女において“絶対”という基準が相当高いのだろうと感じた先で、その彼女から発せられた「絶対」と前置きした言葉はただならない説得力を感じてしまった次第。

ご自身しかり我々しかり、置かれる立場が移ろいでいくことは抗えないこと。だとしても…だからこそ、The night before Nostalgicはこれからの我々にも、逢田さんにも寄り添ってくれる存在だと彼女は説きます。

 

今日この日がこうずーっと10年後20年後とか経ったときに、あの頃あの曲よく聴いてたな、なんか逢田梨香子のLIVEよく行ってたな、当時なんかわかんないけど楽しかったなとか、ね…

曲聴くだけでブワーっと昔の懐かしい感覚が甦ってきたりとか、なんかすっごいその感覚が好きで、なんかそんな一日になったらいいなって、今日思いながらLIVEをしていたんですけど…

10年後20年後、どんなに環境が変わっても“絶対”忘れないと思うんだけど、“絶対”同じ気持ちでみんなも同じ気持ちで居てくれますか?

 

 

そう、The night before Nostalgicとは今日から見た過去…ではなく、とある未来にふと思い出す今日

 

そして四季の移ろいをも“多分”と言った彼女が最後に重ねた絶対に、とてつもないほどの想いの強さが込められたように感じました。

 

 

そうした至極真面目な少し先の未来に想いを馳せつつも、感傷的にもなりすぎたか「引退ライブみたいになっちゃってるけど 笑」なんて茶化しつつ

でもやっぱり真面目に、もう暫くはやりたいことも多々あるし「まだまだ!まだまだ頑張りたいです。」とも宣言してくれた逢田さん。

 

 

タイトルに込めた意を明かし、逢田さんの見つめる眼差しの先は、過去でなく更なる未来にあると感じさせてくれましてからの

アンコール一曲目は『ブルーアワー』

 

 

 

 

 

 

 

 

■ 心映す鏡

 

これから進みゆく将来、そしてその日に振り返る今日への想いを伝え届けてからの『ブルーアワー』

Lotus同様か、それ以上の純真な逢田さんの気持ちが綴られた、この曲を締め括るフレーズは…

「新しい明日を生きるよ」

 

The night before Nostalgicに込めた理由を受け取ったあとでのブルーアワー。そしてこのフレーズは、よりこの歌に滲むものが胸に染みました。

偽らざる気持ちが込められたブルーアワーを経て、その歌詞同様により踏み込んだ偽らざる気持ちを、逢田さんは言葉にしてくれました。

それは二つの“みんな”という言葉を用いての「逢田梨香子」という人物について…。

 

記事の序盤でも触れました通り彼女は生粋のエンターテイナー。であると同時に、その根は愚直なまでの真面目で思慮深い人。相反するようで、それが多面的な魅力を持つ逢田梨香子さんという存在なのは、こんな超長文を飽きずに読み進めてきたあなたなら重々ご承知のことでしょう。ご自身を人見知りだとは言いつつも、常に人を楽しませたいってマインドの持ち主。

故に本質の真面目なお人柄まで知る由もない層と、深層的な域で彼女の魅力に心掴まれた我々では、「逢田梨香子」という人物像を感じるに拭えない隔たりがあるわけで、愉快に振る舞う側面しか知らない層が、好き勝手な言葉の矛先を無責任に彼女へと向けることも散見されます。そうした声に不特定多数を指す意味であろう“みんな”を用いて

みんなが求めてる逢田梨香子がそうなら、しょうがない。ってグッと飲み込んで、うん…ってなることもたまに、あるんですよ正直 

と心境を吐露する逢田さん。正直この一言には思う節と言いますか、我々が嫌悪するのみでなく、ご自身の口から語られましたことに胸が痛くなる思いでもありましたが

それで留まるでなく、逢田さんはもう1つの「みんな」を用いて言葉を続けました。

でもそんな時にいっつも、“みんな”の声が凄く嬉しくて、なんか私が思っている以上に、“ここに来てくれているみんな”は、私のことちゃんと理解してくれてるっていったら甘えかもしれないけど、わかってくれてるんだなってすっごくね、嬉しいなって思うことがあるんですよ。

みんなの声にどれだけ救われたかわからないなーって思うことが本当に日々あって、今日がそのね、ありがとうの気持ちをね、みんなに直接改めて伝えたいなって思いながらライブをやってました。本当にありがとう。

不特定多数を指すみんなのあとに、ここに集うみんなを用いて感謝を述べてくれた逢田さん。一見、1つの言葉に別の対象を含んでいて難しい言い回しのようでも、集う我々は誰としてその言葉を難解だとは思わなかったことでしょう。その指す意味合いの違いを、逢田さんが寄せてくれる信頼と同様に我々もまた当然ながら信頼を持って推していて

相互の信頼関係があるからこそ、同じ語句であれまるで違って聴こえ、それが私たちへの偽らない感謝を述べてくださっているのだなと、光栄であり誇らしくもあり、何より幸せを存分に噛み締められる、そんな逢田さんの純然たる気持ちが綴られたお言葉でした。

お手紙は勿論、ラジオの投稿やTwitterのリプなど、届けた気持ちをそうして1つのライブとして感謝の気持ちを返してくれた逢田さん。

そんな彼女の発する言葉は、心模様をそのまま言葉へと変えたような純とした言葉。人が発する言葉というものは、大抵が自分を守り取り繕うとする盾であったり、よく見せようとする武器にもなる自分を守るための武器あるもの。

しかし彼女は自身を守るでも良く見せようでもなく心のまま。まるで逢田さんの発する言葉はそこに心が映る鏡のようだとも、この日紡いでくれた言葉を受けとめ改めて、より強く、そう感じるばかりでありました。

自身を語るのは好まないとは言いつつも、ここまで赤裸々に語って下さったことこそ何より信頼の現れ

そうした信頼関係の積み重ねを、今一度噛み締め、The night before Nostalgicは大団円の時を迎えます。

 

もう一巡したいね。もう一回フィクションからやりたいね 笑 」なんて、唱っていた“一夜限り”って売りを覆すような、真面目からまたも一転愉快な側面の彼女が顔を覗かせましてから

気持ち1つに、そして楽しく、最後を締め括りました曲は『ステラノヒカリ』

振りコピの一体感が楽しくもあれば心地良い、気付けばそれなりに数を重ねてきた彼女のライブイベントのなかで、定番とも言えよう位置付けとなってきたナンバーでの集大成。

数を重ねてきただけあって自身に染み付いたその振りを持って、楽しく、かけがえなく、何よりこれから先10年20年と経とうとも忘れることのない、幸せに満ち満ちた時間を結ぶこととなりました。

 

そのステラの佳境、大サビでの歌詞。そこに描かれる物語の脈略とは外れた解釈とはなりましょうが

 

「今宵は君の知らない青の色を 私が見つけて照らすから…」

 

このフレーズはアズライトブルーに始まり、ブルーアワーしかり、そしてこの日この場所で受け取ったAdolescence しかり

次々と青の色に重ねた情景を、歌として届けてくれるアーティスト逢田梨香子さんのお姿に、物凄くリンクしたフレーズとして強く胸に刻まれ

またこの先、共に歩んでいくなかで今度はどんな青の情景を教えてくれるのかな?なんて、これからをもより楽しみにさせてくれるような、このThe night before Nostalgicの締め括りで聴いたからこそ抱く、不思議な感覚をステラノヒカリそのラストから感じたように思いました。

 

 

 

 

 

 

かくして、逢田さんも我々もここに集ったみんなが、共通の気持ちとして持ったでありましょう「一生忘れられないような素敵な夜」になったと

そうした幸せな気持ちを胸にThe night before Nostalgicというかけがえのない時間は、“今”としては終わりの時を迎えました。

 

ただ、“今”としては終演となりましても、この日この場所で逢田さんから頂戴した想いやライブの思い出が残り続ける限り、The night before Nostalgicというものに終わりという概念は無いのだなとも感じています。

あの5月1日から時を刻むほどに輝きを増していく、そんな素敵なライブ、素敵な時間、何より素敵なエンターテイナー逢田梨香子さんに出逢えた喜びを胸に

この日に望んだような将来を夢見て、今日の積み重ねを過ごしていきたいです。

 

 

 

 

 

また近々逢える気がします。なんとなく。

 

 

 

 

 

 

 

以上これにて、このタイミングとなってしまいました私さとぴのThe night before Nostalgicへの感想文はおしまいです。

 

しかし先にも述べましたように、過ぎるほどに輝きを増していく…そんな時間だとも感じておりますので、またもう少し時を経てからこの日を回想し言葉とするのも意味があることかも知れないですね。

 

 

久々の、そして相変わらずの超文読解に最後までお付き合い下さった方がいらっしゃいましたらありがとうございました。

 

また、こんな感想文が関の山な私ではありますが、これからもどうぞ同じく逢田梨香子さんの味方として

この日に思い馳せた将来を迎えられますよう、ふつつかな逢田さん推しの端くれではございますが、この道を共に進ませて頂きますと幸いです… … !!

 

 

 


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2022.5.1 PM8:08 ~ REMAINED time ~

約束があってよかった ~WINDY STAGE東京ドームへ~


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ああ君と 約束があって

   あってあって よかった

       あいたくて がんばれた

 

 

こんばんは、さとぴです。

KU-RU-KU-RU Rock 'n' Roll TOUR WINDY STAGE…Aqours再びの東京ドーム公演ももう夜明けを待つのみとなりました。


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前記事での自身ヲタクの歩みでも触れました通り、前回の4th LoveLive! 東京ドーム公演が行われました2018年11月17日が

この年に猛烈に興味惹かれたAqoursを駆け足で後追い重ねた先、現在進行の歩みにやっと追いつけた場所であって、本当の意味でAqoursとの歩みを始められたとも言えよう場所に帰れる喜びと感慨を噛み締めています。f:id:sa10_pi_gatary:20220624233949j:image

私のみならず、ここへ集う誰しもが

そしてきっと誰よりAqoursの9人が

 

再びの東京ドームの舞台はあの日からの地続きの想いを、今改めて結実させる「 約束の地 」と位置付けて

各々の想いを強く、そしてひとつに、東京ドームへひしひしと向けられていますね。



冒頭でも一節を引用させて頂いたWINDY STAGEテーマソング『なんどだって約束!』


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Aqoursが示してくれたここで指す約束は、「約束の地」と言い表している東京ドームでの再会でもあれば、何度となく予定していた公演の開催が立ち消えとなり現実の度に心が折られようとも、屈せずにステージを届けてくれる約束を示す姿を表したものでもあるように

 

またきっとそんなAqoursの姿勢に感化されてきた私たち一人一人の中にも、公言の有無に関わらず胸の内にAqoursへの無二の約束があるのだろうなと、開催が迫り多々各々形での想いに触れる度にそう思わずにはいられません。

 

「心身を健全にあの日以来の東京ドームでAqoursと再会する!」って気持ちも勿論約束であれば

素敵なことにまたまだ新規ファンを集める魅力を持つAqoursは、あの日の私のように今回が初めてのライブだという声も耳にしますので「今回の東京ドームで初めてAqoursと会える!」って気持ちを楽しみに持つこともまたAqoursとの約束と言えましょう。

更には御自身の立場や情勢を鑑みて現地への参加を見送る決断をされる声があることも重々承知ではあるつもりですが、そうした勇気ある決断をされた方々の「いつかの再会」を願う心もまた、讃えるべき立派なAqoursとの約束だと思います。

 

Aqoursを想い続けることこそがAqoursに誓う約束

 

かく言う私はAqoursの全てを「楽しみたい」気持ちを何より一番に、また他の負を孕む感情に支配されることなく、Aqoursを追い続ける心持ちで居続けることが私だからこその約束かな?と。

その気持ちは4thで初めて出会えたあの日から何ら揺らぐことなく、今日までこれましたことをささやかながらの一つの誇りに、胸を張って約束の地へ向かいたく思います。


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かつて「なんどもなんども 立ち上がれるかい?」と、私たちにもそして御自身たちにもこれから待ち受けている道に対して問いかけていたAqours

あれから7年と重ねた時を経て「なんどだって約束」を示してくれる形で、あの日掲げた自分達への問い掛けに答えて見せましたし

そのかつての問い掛けを受けた私たちも約束に答え続ける形で「何度も立ち上がってきた姿」を返していきたいですね。

 

なんども交わした約束

その返事はあの場所で…

胸に手をあて “Yes!” 笑うんだよ

 

そんな心持ちで迎えたく思うばかりです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

PS

冒頭の画像もそうですが、開催前日の6/24に目前の雰囲気を感じたく、訪れ慣れた場所ではあれ東京ドームとその近辺を下見して来ました👀
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いよいよですね…!!

かけがえのない2日間、心底楽しんで行きましょう!

さとぴがたり

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はじめまして、さとぴと申します。

 

アラサーのヲタクです。“ヲタク”という端的な単語を砕くならば、ざっくり言うとラブライバーと呼ばれる類の人種です。

 

ラブライブ!サンシャイン!!の物語とAqoursの輝きに魅せられ、更にはその活動を追う中でキャストの一人、逢田梨香子さんにの届けてくれるもの全てに心を掴まれ、彼女を今一番の“推し”と据え、今日も有り難いことにヲタ活もとい推し活が傍らにある日常を過ごしております。

 

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以前も他所でもっと雑多なブログを書いていましたが、より自身を突き動かす原動力に対し掘り下げて綴る場を設けたくなり、この度はてなブログにて『さとぴがたり』を立ち上げることと致しました。

 

こちらで始めるにあたりまずは自己紹介的なことをと思いましたが、ありきたりな己のプロフィールめいたことを単に並べるより、ヲタクの自己紹介は何が最適かとなればAqoursを、そして逢田さんを推すに至ったルーツなりの話がいいかも知れないですね。

 

一ヲタクの歩みを書き進めるのは自己満以外の何物でも無いですが、話し半分でお付き合いいただけたら幸いです。

 

【目次】

 

 

 

 

■ 推し活…そのルーツ

 

私の“推しがいる日常”ないし“推し活”その全てを語るならばAqoursに出会うよりもずっと以前、十年少々遡りAKB48ないしHKT48が主現場だった頃の話が避けられませんが、これだけを延々書き続けてしまいそうなので、簡略して言うならばそれらの「熱心なヲタクだった」にとどめておきましょう。。

 

当然「だった」なので過去形ですが、その入口は2010年頃に指原莉乃さんを知ることに自身の推し活が始まり、更に時を経て2013年頃にHKT48チームHでキャプテンを務めていた穴井千尋さんに推し変をし、その穴井さんが2016年夏に新たな夢へと踏み出すべくグループを卒業するまでの期間、彼女の単推しヲタクを突き詰め、全うするまでが48界隈で過ごした日々でした。

 

指原さん穴井さん、それぞれを推していた月日を思い返しても沢山の思い出があり、その過ぎた日々の中で、今に通ずる自身の推しに向き合う形なりスタンスが構築されたのは確かです。

 

アイドルの…取り分け48グループのファンとメンバーとの近い距離感、いや近すぎた距離感は、私が当時に心からそうありたいと望んでいた確かな信頼関係での結び付きを強く感じさせてくれるものであって

 

卒業まで見届けることが叶った穴井さんに関しては、とうに過ぎた日の事を勝手に懐古するのは烏滸がましくあれど、あの頃の至らぬ私の想いを受け止めてくれて、抱える悩みや迷い、さらにはそれを上回る内に秘める想いを打ち明けてくれて…、最後の方はグループの卒業を発表する僅か前、まだ広く口外はしていないけれど「遂に見つけられた新たな将来の夢」へと、今に歩み出そうとしている決心を私に打ち明けてくれました。

 

ただ単に人一倍熱心であっただけのしがないヲタクに、駆け出した当初に願っていた以上の信頼を寄せてくれた当時の推しメンとの思い出は、それがもう既に当の本人が忘れ去っていて私一人だけの思い出となっていようとも、私の中ではこれからも褪せることのないかけがえのない思い出です。


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当時の私なりに全身全霊を貫き、その全てを全うした推し活。端から見ればたかだか趣味に呆けているとか馬鹿げたおこないだと思われようとも、こんなにも心血と情熱を注ぎ、“燃え尽きる”とはどのようなことなのかを身を持って感じられた日々でありました。

 

 

しかしながら

 

 

自身の全てを費やすことを信条としていた推し活は、得られた想いも大きければ自身の感性を蝕む側面もあったのも事実で、心底幸せでもあり、それと同時に最後の日々は心底辛くもあったこの期間は、どちらも忘れられない大切な感情であれど、この大きな経験を経て心揺さぶられたエンターテイメントの世界に再び近付くのが怖くもなってしまいました。

 

同時に推しとの近すぎた距離感はステージなどのエンタメを受け取るにしても「気付いてもらえた」かどうかとか、大所帯故に「推しに見せ場があったか」どうかとか、そうした今思えば些細なことばかりに気が向いてしまい、純粋にステージそのものを楽しむエンタメのあるべき受け取り方も、近すぎた距離感で麻痺した私の感覚はエンタメを受け取るにあるべき姿勢が、気付けば歪んでしまっていたように思います。

 

どこかストイックに“推し活が全て”と生きたその果てには、大きな経験と同時に大きな歪みを己にもたらし、忘れえぬ思いと同じくらいの後悔とは言わずとも反省を残したまま暫くこうしたエンタメと距離を置くこととなりました。

 

 

 

 

 

 

ラブライブとの出会い

 

己の全てになっていた…いや、なってしまっていた推し活の日々が過ぎてから暫くは、より以前からの趣味であった野球観戦なり旅行なりに時間を割くこととなりますが、自己消化だけでしかない楽しみはどこか張り合いも見いだせずにもいる日々でした。

 

時間的余裕というか空白を持て余した中で出会った存在こそラブライブシリーズ


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順当に最初は無印からの入口でした。舞台が職場付近であり縁のある街並みが出てくること、当時仲を深めたいと感じていた人がラブライブが好きであり共通の話題としたかったこと、何より自身が長らく触れてきたアイドルという存在を題材としたアニメはどのように描かれ、興味以前から伝わってきた大きな支持を得る作品はどれ程のものかと、2次元に触れる習慣があったわけではない中で抵抗なく踏み出すことが出来ました。

 

いざ触れてみまして評判以上に心を掴まれ、アイドル文化への深いリスペクトを感じるのと同時に、μʼsが作中見せてくれた眩しさと儚さどちらも併せ持ったその歩みは、かつての近すぎてしまったが故に気付けば捻曲がっていた、自身のアイドルに心惹かれたルーツのようなものと言いましょうか、アイドルが届けてくれるステージが放つ魅力、それを純粋に楽しむ…そんな肝心かつ大切な気持ちを思い出させてくれたような…そうした代えがたい機会であり出会いとなりました。


欲するがままに見進めたラブライブ。あっという間に無印を劇場版まで見届け、続けざまにその後継作となる舞台と登場人物を一新したラブライブ!サンシャイン!!へと移り行きましたが、それこそが今の自身にまで通ずる運命の出会いとなりました。


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無印では物語の全体像から作品への感情移入なり感動を頂戴してはいたものの、特定の推しと呼べるキャラクターは定まることなく、どこか達観的に観ていましたが、それはμʼsが紡いだ物語がどこまでも美しいものだったからだと今になって思います。

 

そうした完成された物語のあとを受けたラブライブ!サンシャイン!!。当初はどこか越えられない壁のようなものを受け手である私が勝手に作ってしまった上で見進めてはいましたが、中盤での挫折を経ての展開と、それに深みをもたらす一人一人の繊細な心情描写…

 

どこか泥臭く、がむしゃらに、うちひしがれてもなお進む…そうした愚直なまでの人間味が滲んでいたラブライブ!サンシャイン!!に気付けば…いや、自身の中で明確に無印なりμʼsを越えて描かれる物語の、何よりAqoursの虜となってしまいました。

 

長年ヲタクとして生きてきた以上行動力はそれなりに身についているからか、ラ!サ!!の全話を後追いしきるよりも前に、作中の空気感に触れてみたいと勢いのままに沼津へと向かってしまうくらいには心を掴まれていました。


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(2018/9/27 沼津初訪問より)

 

惹かれ始めた心は坂を転がるかのように留まるところを知らず、入口はアイドルきっかけの人間でもあるので、作中を飛び出し現実においてAqoursとしてのパフォーマンスを表現する、Aqoursキャストの9人へと興味が向いていくにも時間はそうかかりませんでした。

 

この時は2018年の秋を迎えるより前くらいのこと、アニメ本放送こそ既に二期も終えてしまってはいるけれど、だとしても自身を突き動かす想いは「今のAqoursに追い付きたい」

 

その一心でアニメBlu-ray全巻のみならず、この時点で購入できたナンバリングライブにも手を伸ばすほどにAqoursが己の興味の中心を占めるまでになりました。


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手にした1stライブと2ndライブのBlu-ray。これも一つ運命的であれ11月に控えたAqours初となる東京ドーム公演も最終抽選に滑り込めた上に当選の恩恵も授かり、はやくも望んだ「Aqoursの今」へしっかりと追い付くべく、過去刻んできたナンバリングライブは絶対的に避けられません。

 

そうした中で1stライブを受け取る上で必ずの通過儀礼となりますのは、この界隈では特に未だ様々な感情が揺すぶられる、逢田梨香子さんがピアノに挑戦された作中再現の場面でしょう。

 

無論そのDay2公演で「起きたこと」そして「その後」のことは前段階の知識としてあらかじめ知っていたことであれ、まだこの時は今のように推すに至るとは思っていないにせよ身構えるものがありましたし、実際その場面を初視聴した時も胸を痛めつつ観たように覚えています。

 

ただ、この映像として初めて受け取ることで印象が変わったといいますか、その語り尽くされている想いよひとつになれでの出来事から印象深かったことが一つ。

 

結果的には、まず「無事に弾ききった」Day1ではありますが、私はその時鍵盤に向かう前の不安に潰されそうな逢田さんの表情と、それに対しての翌Day2、前日の曇りきった表情とは一変、笑顔で鍵盤へ向かおうと振る舞う逢田さんの姿が物凄く印象的でした。

 

これは私の推論の域を出ないにせよ、強く感じましたことは、きっと彼女はもしあのDay2を無事に弾ききっていたとしても、鍵盤へ向かう前に笑顔でいれなかったらとても大きな後悔を残していたのではないか?自身が演ずる桜内梨子としてステージ上で悔いなく生きる為にも、怖さに打ち勝ち笑顔でいようと振る舞ったのではないか?

 

どんなに怖くともあそこで笑顔でいれなければ、それはもう桜内梨子ではないから。。。

 

そうした覚悟と決意の滲むDay2で見せた運命その前の笑顔。あのピアノに挑む姿は推しと据えた今に見るのはより辛くもありますが、再挑戦で見事弾ききった姿と並んで、桜内梨子として懸命に生きようとした生き様が滲んでいた、あの日あの時に見せた決意の笑顔が大好きです。

 

その出来事でそこから「じゃあ逢田さんを推そう」とすぐに至った訳ではないにせよ、彼女が自身に刺さる第一のキッカケとなったのは間違いありません。

 

その本気の想いを映像越しに受け取ってからの、自身が初めてAqoursに会うことが叶いました東京ドームでの4thライブ。


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心惹かれるままに後追いを続け、望んでいた「Aqoursの今」にやっと追いつくことが出来た思い出深い地でありコンサートです。

 

そしてこのコンサートにおいて大きなハイライトの一つ、作中を越えた展開を表現しきってみせた9人での『想いよひとつになれ


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その中心にいた逢田さん=梨子ちゃんの放つ輝きであったり、どこか呪縛めいたものすらあった1stの影を払うかのような、気持ちの乗った9人で表現する想ひとのパフォーマンスを受け取れましたことは、この先もAqoursを追いたいと、そんな気持ちを確固たるものとした忘れられない場面でありライブでありました。

 

こうした1stで感じた印象、4thの現地で受けとめられた輝き、更には日頃の活動から見えてくる愉快でもあれば、愚直なまでに真面目でもある…そうした多面的な魅力が溢れる逢田梨香子さんに日に日に興味が沸きつつも、でもそこから実際に推しと据えるにはまだまだ先の話です。

 

 

あくまでAqoursに対しては2年生組が特に好きな箱推しのヲタクであり、キャスト各々の個人活動も興味がないわけではないにせよ

 

リーダーシップに見てとれる人柄への尊敬の念と、かねてからの舞台やミュージカルへの興味もあって、伊波杏樹さんの個人活動を幾分か追いはしてましたものの

 

1stライブや東京ドーム、それに日頃の活動からの印象で、内心強く惹かれつつあった逢田梨香子さんの存在ですが、でも敢えて近付かないようにする日々が暫く続きました。。

 

 

 

 

 

 

 

■ コロナ禍が変えたもの

 

「暫く近付かないようにした。」それは他ならずかつての推し活のこと…。今度は己の呪縛の話です。

 

冒頭の章で話したようにかつての推し活で「自身の全て」を捧ぐ勢いで過ごしていた過去が、大切な思い出である反面呪縛でもあり、誰かに入れ込んでしまうことに対してまた大きな感情なりに支配されて取り返しのつかないくらい疲弊してしまうのではないか?と、興味が沸くほどに逢田さんに近付くのがとても怖かったです。

 

幸い、頻繁に対面でのイベントがある現場などではないにせよ、自身の性格上本当に惹かれたものに対してとことん入れ込んでしまうのは明白でした。

 

線引きとしてあくまで応援するのはAqoursの活動の範疇で、個人活動には強く踏み入れないことを自身のルールとし、ある意味自分の本心を騙しつつ、良くも悪くも程よい距離感で順調にAqoursの歩みを追いかける日々が続きました。

 

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しかしそんな平穏そのものの日々は、誰しもの中で一変し、大きく影を落とす時を迎えてしまいます。

 

 

2020年の春先

 

新型コロナウイルスの蔓延です。


 

 

自身がAqoursに抱いていた距離感は、Aqours全体として見ていたことと、過去の反省を踏まえたこともあって「自身の全て」ではなく「自身の一部」として程よい距離感で追えていたように思いましたが、新型コロナウイルスの蔓延で世の中の何もかもが寸断されてしまったことで、それらは大きく変えられてしまいました。

 

エンタメが届けてくれるものに魅せられながらも、過去一度は自らがそれを手放して、それが改めて自分にとって大切なものだと気付けた今、今度は否が応にも手放すことになってしまったようなこの出来事。

 

当面のAqoursの活動予定が立ち消え、聞こえてくる範囲でも各々の個人活動も停滞し、自粛期間中の個人活動もそれぞれの事務所ごとの方針に差が見受けられ、この時唯一個人活動も少し触れていた伊波さんの事務所は自粛に徹してAqoursともども動けない状態になっていた感じだったと記憶しています。  

 

 

AqoursAqoursキャストを通じて受け取れるエンタメが傍らにある日々が、自身にとっていかに大切なものになっていたかを痛いほどに痛感する空白の期間でもありました。

 

 

自身が生き甲斐としているそれを尽く受け取れない辛さやもどかしさは勿論、私の感情どうこうに関わらず、進み続けてこそのエンタメが目に見えて停止しているという耐え難い現実の無常

 

何かしらエンタメの生を感じたい、Aqoursが…Aqoursキャストが届けてくれるエンタメの火を途絶えさせて欲しくない。

 

そうした危機感と渇望のなか、事務所の方針か自身初のツアーも期限未定の延期を余儀なくされていた逢田さんが、オンライン朗読劇であったり、アルバムのオンラインサイン会であったり、時代の並みに飲まれてしまうことなくエンタメを紡ごうとし続けてくれている姿が目に入りました。

 

 

Aqoursキャストとしての生き様に強く惹かれつつも、かつての己の反省から踏み留まり、あえて一歩を歩み寄ることから逃げていた逢田さんの姿はとても頼もしく、その気概に応えたい気持ちが沸き上がるのと同時に、先の見えない中でもエンタメにすがりたい気持ちも押さえられず

 

その後の自分がどうなるか怖くもあれ、この時にやっと逢田梨香子さんの人となりをもっと知りたい、届けてくれるエンタメであったり歌を真正面から受け止めてみたいと


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「推したい」という気持ちに正直に、また入れ込みすぎてしまいかねない自分自身の弱さなり愚かさと戦ってでも、誠心誠意の応援をさせていただきたいと

 

逢田さんの方へと一歩踏み出すことを決意致しました。

 

 

 

 

 

 

 

逢田梨香子さん推しとして…

 

そこからは自分も積み重ねた時間と経験、なより反省を持って大人になれたからか、はたまた単に昔の現場に比べて程よい距離感だからか、それとも皮肉にもこんな時代のせいだからか。

 

逢田さんを推すことに関しても今現在に至るまで破滅的に「自身の全て」ではなくて、逢田さんを応援している時間は「自身の一部」として心身ともいい影響の中で応援し続けられているように感じています。

 

 

自粛期間に逢田さんを推したいと気持ちを固めてから、実際特に何かを出来たとかは暫くはなかったものの、混迷から脱するべく再開した逢田さん自身の1stライブツアーに再抽選の恩恵に授かり、参加させて頂いた経験は何にも代えがたい程に大きいものでした。

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逢田さんはこの1stツアーの中で語られたことで、空白の期間に離れていってしまう人もいるのでは?と不安に苛まれた気持ちも吐露された場面もありましたが

 

全くそんなことはなくて、寧ろ逆にそうした空白の期間でも懸命にエンタメを紡いでくれたからこそ、私はこうして真正面から応援したいと思えるようになった事実は何よりも声を大きくして逢田さん本人に届けたい想いです。

 

 

ツアーの東京公演と大阪公演の参加を皮切りに、より精力的に逢田さんに関して日々時間や労力を費やすことも増えましたが、それでも以前のような入れ込み過ぎることのない「好き」や「楽しい」だけに従順な範囲で推し活を続けられているように思います。


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そうした気持ちで継続できていますのも、逢田さんのお人柄は勿論、そんなお人柄の元に集まったから方々で形成されている界隈なりコミュニティだからこその居心地の良さがあってのことかも知れませんね。

 

 

 

何かしら自分だけの、自分だからこその自己表現をもって、逢田さんから頂けたものを独自の形で返していけるような技量を持ったヲタクではないですが、想いや感情、感謝を言葉に…文字にすることの大切さはずっと以前から感じてきてはいましたので

 

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なにか一つ私なりの表現する形の手がかりとなればと、始めましたのがこのブログです。

 

 

 

 

 

 

 

 

さて、話は大きく逢田さん個人を推すこと飲みにフィーチャーして進んでしまいましたが、Aqours全体への気持ちも変わらずに推し続けたい思いでいっぱいです。

 

コロナ禍の最中でのAqoursはドームツアーやユニットが一同に介する筈だったSSAでのライブ、そしてつま恋での野外ライブが流れてしまいましたが、配信でのライブから徐々に再び歩みを刻み始め

 

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2021年暮れに再び9人のAqoursとしてリスタートを切れたDREAMY CONCERTから、続く6thライブツアーと、着実にそのAqoursだからこそのエンタメを取り戻してゆく9人の姿はただただ頼もしく感じるばかり。

 

そして6月末、再びの東京ドームへと舞い戻る約束が果たされる時が楽しみでなりません。

 

寄せては返すことのない時代の波の中で、飲まれることなく果敢に進む9人のAqoursと、逢田梨香子さんが魅せ続けてくれる世界を心の傍らに、私なりのスタンスと信念の元、共に歩ませて頂ければと

 

そんな望む想いを込めて、ここまでの自身の進み来た轍を文字として起こさせて頂いた次第です。

 

 

今後ラブライブ!サンシャイン!!に対してなりAqoursに対してなり、勿論逢田さんに対してなり、何かしら胸に抱く想いを文字としたくなった際にこちらに綴ろうかと思います。

 

私さとぴが最も私らしくあれる場所を目指す当ブログ~さとぴがたり~。極不定期となりましょうが、何卒宜しくお願い致します。

 

 

 

 

 

 

 

 

            2022 . 6.14  さとぴ